堺町の鈴木さんと話してきた。〜未来志向の平和学習〜

8月6日の平和公園はどんな風景が広がっているか、知っていますか?キャンドルで照らされた原爆ドームの周りには、ボランティアさんや自分のキャンドルを見に来る人々、観光客の方などたくさんの人が訪れます。キャンドルは、イラストやメッセージなどが書かれていて、とてもカラフルです。

今回は、8月6日に原爆ドームのまわりにキャンドルを灯す活動をされているひろしま点灯虫の会の鈴木俊哉さんにお話を聞いてきました。私がピースキャンドルに出会ったのは、大学生の時です。初めて見た時、それまでの平和学習への姿勢が変わりました。それまでは悲惨な写真を見るのが恐くて、分かったフリをして、視線と一緒に気持ちも向けようとしていなかったのです。

卒業後もピースキャンドルを見学させてもらうことがありますが、何度見ても一人ひとりの「過去」「現在」「未来」が確かにあること、それを原爆や戦争がすべて奪い去ったという歴史があることを感じる一方で、キャンドルを灯すことができる目の前の平和があるのも事実だと再確認します。

点灯虫の活動のはじまりの時のことや、鈴木さんが今後やっていきたいことについて教えてもらいました。

大事なのは伝えること

ーひゃ〜、おひさし、ぶりです(ゼエゼエ)
(予定より早かったのですが、キャンドルの搬入が終わったそうで早く原爆ドームに着かれていたので、NHKあたりから走ってきました。)

そんな走らんでもよかったのに。

ーいやいや、そういうわけには。

原爆ドームを見上げながら)
スイヅさん、原爆が落ちた時、原爆ドームだけ崩れずに残ったのはなぜでしょうか。

ーえーっと、確か・・・。ごにょごにょ。

ドーム部分が銅板で作ってあって、銅は鉄より融点が低いため投下直後の熱風で銅板が溶けて、風圧を面で受けなかったこと。あとは、窓も多かったから一瞬でバリンと割れて風圧を受けにくかったのもあった。当時は珍しいレンガ造りだった部分も丈夫で残っとるよね。
さて、爆心地はどこでしょうか?

ー確か、相生橋、じゃなかったでしたっけ。T字の。

それは爆心地じゃないよ。歩いてすぐだから行こうか。
(歩いて1分もかからないところにありました。)

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島外科内科(当時は島病院)にある爆心地の石碑。相生橋から風で流されて、爆心地になりました。

ー爆心地、知らなかったです。(平和学習が苦痛で、全然話を聞いてなかったんだと思います。)反省。

もう知ったんだからいいんよ。こうやって人に言うと自分の記憶にも残るけえね。
こういうのが大事。

(このあと場所を移動して、お話を聞きました。)

20年前、原爆ドームはまるでお墓だった

ー現在どれくらいのキャンドルが8月6日に集まるんですか?

去年は5000個。県内外で70を超える団体が参加してくれて、今年も同じぐらい。

ーわたしが大学生だった頃は3000個と聞いていましたが、ずいぶん増えたんですね。

おかげさまで。今年で20年になるけど、これまでに原爆ドームを照らしたキャンドルは合計9万個になるんよ。

ー9万個!原爆ドームの周りに9万人いると思ったらすごい数字。そもそも点灯虫の会はどうやってできたんですか?

もともとは青年会議所事業でね。
20年以上前になるけど、当時こういう議論があった。
もう50年も経つし、そろそろ原爆の負のイメージで押すのはやめよう、もっと明るいイメージの新しいものを作ろう、と。
確かにネガティブなイメージではあるけど、もともとあるものをないものにしてしまうのは、どうなんかなと思ったメンバーがおったんよ。
8月6日の原爆ドームは、お墓のように真っ暗闇に包まれている状態でね、それを北海道の旭川の方に教えてもらった牛乳パックキャンドルで照らしてみようという話になってね。

ー確かにピースキャンドルがないと原爆ドームって真っ暗ですね。ライトで照らしてあっても廃墟なので夜は恐ろしさが増します。

そうなんよ。
で、実際やってみたらすごくいい事業だった。
でも、青年会議所事業は結果にかかわらず、最長5年でやめるというのが決まり。
とってもいい活動だったし、ピースキャンドルは続けることに意味がある。
それで、その時に活動していたメンバーでNPOとして立ち上げて活動することになったんよね。
それがひろしま点灯虫の会のはじまり。

過去と未来のふたつの視点

ーはじめてピースキャンドルに参加したとき、それまでに受けてきた平和教育とは違って、とても楽しかったです。ピースキャンドルとこれまでの平和教育との違いはなんでしょうか?

まず、違うのは視点かな。
歴史から学ぶことは、悲惨すぎるゆえに聞くのもつらくなってしまうし、戦後何十年も経ってくると実体験を語る人も少なくなると風化は免れない。もちろん、これからも歴史から学ぶことが大事なのは大前提。
ピースキャンドルは、まっしろなキャンドルに一人ひとりがそれぞれの「平和」の思いを込めてキャンドルを完成させていくから、ひとりひとりのオリジナルの体験になっていくんよ。
これまで過去の視点がメインだったけど、ピースキャンドルは未来志向型の平和学習と言える。

ーまっしろなところから、始まるというのがいいですね。

あと、「子どもから親に向けてできる平和学習」でもあるんよ。子どもがこんなキャンドル作ったよ、8月6日にドームの周りに灯るんよと親に言えば、親は子どもが作ったキャンドル見てみたいなって思うから、8月6日にドームにやってくる。やっぱり原爆ドームのまわりのキャンドルや自分の子どもが作ったキャンドルを見ると、人それぞれ感じるものがあるよね。

ー何かいいことをしたいという気持ちとは、別に個人的な理由で8月6日にドームに集まってくるというのはいいですね。

最近では、修学旅行で広島に来て、キャンドルを作った人たちが、8月6日にもう一度来てくれるんじゃけど、こうやって少しずつ今の8月6日の原爆ドームの景色ができたんよ。

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東京から修学旅行で来広した中学生のキャンドル。彼らは中1から数えて10回ほど平和学習を重ね、東京や広島・長崎はもちろん日本中、世界中の戦争・紛争について調べたそう。生徒の主体的な姿勢と思ったより長期的に取り組んでいることに驚くばかり。当日も、鈴木さんに改めてピースキャンドルが始まった経緯や意義などを尋ねていました。

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旅館から移動してキャンドルを灯し、原爆ドームのまわりを一周します。最後は記念撮影。火をつけると絵柄の印象も変わるので歓声があがります。

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この日は約200個のキャンドルが原爆ドーム前に並びました。
8月6日には約5000個のキャンドルが原爆ドームを照らします。  

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講習会の様子。四角いキャンドルのなかに火を灯すキャンドルを設置する際の注意点について話されています。スモールライトを照射しているようにも見えなくもない。

街の名前は、歴史を教えてくれる

ーこれから、やっていきたいことってありますか?

もちろんピースキャンドルは続けていくんじゃけど、まち記者というのをやっとってね…。

ーまち記者?ですか。

そう。まち記者っていうのは、その町のことを発信するボランティアの記者のことなんじゃけど、去年広島市で行われた養成講座に参加したんよ。
私が生まれ育った堺町は、元々問屋街で大阪の堺とのつながりがあって、名前から歴史を感じることができるところなんじゃけど、最近堺町に大きなマンションが建ってその名前には「平和公園西」とある。
住所は堺町なのに、平和公園西。こうやって少しづつ堺町から平和公園西という地名に変わっていって、この街の歴史が分からなくなるのは寂しいなと思った。

ーそうですね。現在の平和公園に、かつてたくさんの人が住み、繁華街として栄えていたことを知った時に、よくわからないけど平和公園いいな、広島いいなと思いました。紙屋町や竹屋町なども、昔はこんな人たちがいたのかもと想像できて、それは街の魅力のひとつだなと思います。

そうそう。それで、堺町で生まれ育って今もそこで生活する者として、この街の歴史を伝えていきたくて、まち記者になることにしたんよ。まだ、活動ははじめたばかりじゃけどね。

ー鈴木さんのFacebookの投稿、私が知らない広島のことを知ることができるので、結構じっくり読んでます。これからのまち記者の活動も楽しみにしています。
今日は、ありがとうございました。

お話をお聞きして

8月6日。

大学生の時に、初めてピースキャンドルに参加した時のことです。
目の前に広がるキャンドルの幻想的な様子は、本当にきれい。
キャンドルひとつひとつに目を向けると、様々なメッセージやイラストがいっぱい。
ダイレクトに平和へのメッセージが書かれたものもあれば、キャラクターの絵がとても丁寧に描かれているものもある。

それを見て、こんなことを思ったのかなとか、友だちとキャッキャと楽しく描いたんだろうなとか、この子は黙々と自分の世界に入って描いたのかなと想像するのも楽しいです。

見ていて本当に飽きません。

ピースキャンドルがいいのは、「感じ方を強制されない」ことと、「未来志向」だと思います。

描いたのは今を生きる私達なのだけど、幻想的な灯と重なると、1945年に亡くなっていった人々が、確かにここにいて一瞬で亡くなって、残った人がここまで繋いできたんだという風に感じられるふくみもあるし、ただ単にキャンドルの美しさに、未来の平和に思いを馳せることもできる。

また、ボランティアさんの一生懸命活動する様子も、協力しあったり、平和公園に来た人に話しかけられると一生懸命に説明をしていたりして、これもひとつの平和のかたちが体現されている。

どこを切り取って、どう感じても自由というのは自分のペースで進められていいなと思う。

過去から学ぶけど、一人ひとりの未来の平和が、街全体の平和につながっていくから、一人ひとりにとって一番大事な自分の平和について、キャンドルを通して考えられるのがとてもいい。

何かを描くとか、作るというのは、自分の内面にあるものと向き合うことができるし。

今回、鈴木さんは点灯虫ではピースキャンドルは人それぞれで感じるものだから、こうしたい!というものはないんだとも言っていました。

原爆ドームを、8月6日に照らすという活動の元に集まった人々それぞれの感じ方ができる余白が残されていることがこの活動が長く続き、大きく発展していった要因なのかなと思いました。

2016年8月6日、原爆ドームに一緒に行きませんかー?

19時に点灯するので、19時〜20時ぐらいが見頃です。
今年は土曜日だし、少しでもいいので覗いてみてはいかがでしょうか。
私も今年は参加しますので、気になる人はFacebookやLINE等で連絡ください。
連絡なしでふらっとやってきてもだいじょうぶです!